** 私の生きる道 **

社会的養護を考える人です。社会に伝えたい事。

「親の親権より子の人権」〜母性と子育てと子育て機能不全〜

ここのところもやもやしている。

きっとそんな人は多いだろう。

悲しすぎるニュースに

涙する人もよく目にする。

さすがに今回ばかりは、世間の人達も、

小さな家庭内で起きたこの事件を無視出来ないだろう。

 

結愛ちゃん・・・

すごく素敵な名前を付けてもらった。

産まれた時は誰かに抱っこされて守られて、

1歳を迎え、2歳を迎えて成長していた。

お母さんは、何らかの理由でシングルマザーになって、

新しいお父さんができた。

新しいお父さんとの間に、新しい命が産まれた。

そんな暮らしの中で、結愛ちゃんは、ふさわしい愛情を受けられず、亡くなった。

結愛ちゃんの手紙が見つかった事で、世間の注目を浴びた。

 

世間は、結愛ちゃんが可哀想だと

たった5歳でそんな文章が書けるのか?と。

いたたまれない、と。

当然な感情だろう。

親は非難される。

特に母親は、何で子どもを守れなかったのかと、私自身もそう感じてしまった。

でも捕まった時の母親の表情を見て、魂の抜け落ちた顔を見て、

社会背景に繋がる深い闇をまた感じた。

子連れ再婚は虐待に繋がると言う、単絡的な意見や偏見。

一つの要素ではあるけれど、問題となる点はそこではない。

幾つもの要素のそれぞれが折り重なって最悪の事件になってしまう。

 

今回私は、テレビの報道を見ていない。

適当なコメンテーターが適当な意見を好き勝手言うのが目に見えて、

苛立ちが倍になるからだ。

 

でも今朝ふと耳に入って来たのは、

「親の親権より子どもの人権」だった。

外国のコメンテーターの方だった。

 

確かに日本は親権を大事にし過ぎてる。

それは同時に親だけに責任を押し付けてる事にも繋がる。

国が、社会が子どもを守る観点が少ない。

 

そして、何でもかんでも母親の母性に頼り過ぎ。

母性の問題よりも能力の問題。

判断力、決断力、行動力、、、。

我が子を守るには、母性だけでは難しい。

 

母性が正常に機能するには、

それなりの社会背景や暮らしが必要。

全て社会に繋がっていて、社会全体の問題だと私は思ってる。

親だけを責める社会では、いつまでも良くならない。

 

 

結愛ちゃんは、一人ではない。

まさに今も、泣いている子どもが居る。

 

日本には問題、課題が多過ぎて、

どうしても社会的養護に関しては後回しになっていた。

子どもは選挙権がないから、

虐待される子には味方が居ないから、

支援団体が少ないから。

予算も少なくて、児童相談所機能もうまく成り立っていない。

 

でもこれからの日本を作って行くのは子ども達なのだから、

これから先このままでは、大変な事になる。

 

昨日、馴染みの新幹線の中で殺傷事件が起きた。

息子と同じ22歳の若者がした事。

辛い事がたくさんある人生なのかもしれない。

でも人を巻き込む心理とは何だろう。

大人が子どもを大事に育てないと、

こうして事件も数々起きてくる。

未来に希望が持てる社会にならないと、

被害者も加害者も不幸な人が出る。

 

幾つもの悲しみに包まれる日本であってはいけない。

 

他人事ではないのです。 

人を追い詰める安易な行動は慎んで、国民のひとりひとりがしっかり考えていかないといけない。

児童相談所にクレームの電話が鳴り続いているとか。

それが何のためになりますか?

 

 

 

 

 

一時保護所での少年の自殺のニュースを受けて。

少し疲れた帰り道、非常に辛いニュースが飛び込んで来ました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

私はかねてから社会的養護に関するTwitterのアカウントを持っていて、

その中で見た彼女のツイートから知りました。

(本人の許可を得て、掲載させて頂きます。)

 

 

 

養護にゃんと言うアカウント名の彼女もその名の通り、親の元から保護されて

長い一時保護所での生活を経て、今は自立援助ホームで生活している高校生です。

彼女の言葉は全くその通りだと思い、そのまま引用させて頂きました。

 

少し説明すると、一時保護所とは、心理的、身体的虐待や、ネグレクト(育児放棄、これも虐待の一つと数えられる)などで、子どもが親から保護されて、その後の措置(児童養護施設に入るか親元に返されるか、児童養護施設の受け入れ先)が決まるまで居る場所(決めるのは児童相談所)です。

愛知に限らず全国的に一時保護所での環境は刑務所のようだと複数の子ども達が語り、直接聞いた事もありました。

また、以前このブログで投稿した記事にもあるように、劣悪な環境が実際にある事も分かります。

 

miporin0517.hatenablog.com

 

一時保護所での子どもの精神的負担を考えると計り知れないし、いたたまれないです。

大きな愛で抱き締めてあげたい気持ちでいっぱいになり、胸がつまり、流せない涙がこみ上げて苦しくなります。(泣きたいのは子ども達の方だろうと思うから。)

 

 

傷を重ねて、絶望して、疲れて、生きる気力もなくしてる子どもに

ほんの一筋の光を届けるにはどうすればいいのだろう…

一瞬でもホッとして一瞬でも息が大きく吸えるように

あらゆる苦しみを一瞬でも忘れて眠れるようにと

日々、心から願いながらも私には何も出来ない。

考えても答えは出せず、このニュースを見てから、様々な事が頭の中をぐるぐると整理出来ず、久しぶりに記事にしています。

 

今まで出会った色々な子どもが脳裏に浮かびます。

会った事がある子どもも、SNSでしか話した事がない子どもも、

それぞれに苦しみを抱えながら生きている。

そしてこの愛知県の一時保護所で自ら命を絶った少年は、

私は会った事も話した事もないけれど、辛過ぎます。

そして、表面化されているのは氷山の一角で、報道されない悲劇も多くあるはず。

 

親から逃れ、離れて施設で暮らし、もう親に会いたくないと思う子どもや

施設で暮らしながらも、親の事を想い、淋しさと闘ってる子ども、自分を責める子ども。

親元に居ながら、親の有り余る愛情や歪んだ愛情が苦しくて逃げ出したくて、

児童相談所に救いを求める子ども。

少子化の時代に、一時保護所は保護された子どもで溢れ返って、

都市部では、保護所の空きがない状況。

 

保護されたのに更に苦しい思いをしている子ども。

安心出来るシェルターになっていない一時保護所。

そこではあらゆる規制があり、学校にも行けないばかりか、個人間の連絡先の交換も許されない環境の中、大きな不安を抱えている子どもにどれだけ寄り添えているか。

 

保護されたいのに保護してもらえない子ども。

その子どもにとって、救ってもらえると勇気を振り絞って児童相談所に相談に行っても、一時保護所は満杯で、身体的虐待の形跡(アザや血の跡)がないと保護されない事実。虐待は精神的ものもありますよ?目に見えない虐待もあるけれど、命の確保が先。どれ程その子どもが長期に渡り苦しんでいるのか。自死してしまったらまた、児童相談所は謝るのでしょうか?それでは遅いです。

 

苦しみはそれぞれ違うけれど、結局のところ、苦しむ子どもを生み出さない事が先。

当たり前過ぎるその答えがありながら、そのような社会に何故ならないのか?

そのテーマは果てしなくスケールが大き過ぎて途方に暮れます。

たった一人での育児は大変です。

例えば、先日のような大雪に見舞われた時、小さい子どもを抱えたお母さんは、食材の買い出しに行けないかもしれない。買い物代行に取り組んでいる団体もあるだろう。

でもそれを知っていて利用する人がどれだけ居るか。

知り合いが近くに居れば、手伝う人や気が付く人が側に居れば、お母さんは一人で頑張ろうとしないで済む。孤独に陥らないで済む。

子育てに悩むお母さんも、子育て支援センターに相談出来る人はまだいい。

問題は、相談するのが苦手な、頑張り屋さんのお母さん。

もちろん、お父さんが居る場合は、お父さんも同じです。

シングルファーザーも増えていると思うけど、何となくの印象では、

お父さんの方が周りにヘルプするのが上手かもしれません。

(個人的憶測ですが。)

  

人は、人に相談する時、何かを求めて頼りにしています。

でも、うまく受け入れられなかった時、もう二度と相談しようとしない。

相談された時、人がどれだけ人の事を、自分の事として思い測る事が出来るか。

また、相談されなくとも、周りがどれだけ気付く事が出来るか。

そんな大人を見て、子どもは優しく満たされて育つのではないだろうか。

子どもは元々、皆とても優しい心を持っている。

けれど、心無い大人の言動を見ながら、大人を信じなくなって行く。

優しい子どもこそ傷付く。そして、自分が悪い子なんだと、自分を責める。

 

 

社会全体で子どもを守る事。

親にだけ責任を押し付けない事。親がある程度のゆとりを持って子育て出来る社会。

親になると責任を伴うのは確かだけれど、親はいきなり親になれる訳ではない。

人と人との関わりの中で、子どもと向き合う中で、親になって行く。

 

 

私は、一番好きな親によって心や身体を傷付けられた子どもの悲しみを

抱き抱えて一緒に泣きたい。

けれど、現実は、決して理想論で語れるものではないだろう。

傷付いた子どもはもう、大人を信用していない。

長い年月を必要とする。

力なき今の私に出来る事は何か?

それは、こうして、社会に伝え続ける事だから、

こうしてブログを更新しています。。

 

 

ニュースの記事の一文に

臨床心理士が面接した時には、少年に自殺や自傷の兆候は見られなかったという。」

とありますが、子どもは、傷付いた本当の気持ちを簡単に見せません。

臨床心理士と言えど、大人の奢りだと思います。

誰かが側で寄り添って居られれば・・・。

このニュースだけでは詳細は分かりませんが、専門家が側に何人も居たハズなのにと

悲しさと難しい思いが消える事はありません。

 

 

支離滅裂な投稿になりましたが、最後までありがとうございました。

 

 

追記。

以前、職員として所属していた児童養護施設では、一時保護所が楽しいところだったと聞いた事があります。それは、何に比べてか?と考えたらキリがないですが、少なくともその子ども達にとっては、環境は劣悪ではなかったかもしれない。

一時保護所にも格差があるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

心と心で繋がると言うこと〜サヘル・ローズさんの講演会に参加させて頂いて〜清瀬市

昨日11月17日金曜日、清瀬市にある児童養護施設子供の家の施設長の早川先生のFacebookでの呼びかけでこの講演会を知り、参加させて頂きました。

きっとまとまった記事には出来ないだろうと予想しながら、思いのままに感想をまとめたいと思います。

 

児童養護施設の職員としての立場を離れ2ヶ月が過ぎた今の私は、今何をしているかと言うと、某大学内のコンビニのアルバイト。大学生と多く触れ合う事の出来る職場で元気と英気をもらいながら、身体を動かして走り回っています。なんと2ヶ月で5キロ痩せた程です。それ程没頭しながらもずっと施設の事は私の頭の中にあり、12月のあの二人の小・中学生の誕生日には、また誕生日カードを送るつもりです。まだ離職の決意はなく、休職中となっています。

また、Twitterで知り合った施設の高校生との交流も欠かせたくない事の一つです。

来週、逢いに行きます。まだ二度目です。新幹線に乗らないと行けない距離なのです。安らげる時間が少しでも作りたい一心です。この子に対しては何か特別な感情があり、サポートに終わりはない事を感じています。

そして、下の息子がちょうど大学受験生となり、あと3ヶ月、彼の大事な時期を支える事も大事な母親業です。それが終わらない事には、私の子育て人生は終われない。

その間、保育士資格を取る為の試験を2度受け、残るところあと1科目となりました。

その勉強も今の内に並行してやって行きたい。

 

そんな今日この頃、特に社会的養護について前向きに本を読んだりする余裕のない中、今の私の気持ち、心の中にあるものを確かめたくて、或いは自分を戒めたくて、この講演会に参加させて頂きました。

 

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私はテレビをあまり観ないので、サヘル・ローズさんの事はあいにく存じ上げませんでした。1985年、イランで生まれた彼女は4歳で全家族を失い、幼少時代を孤児院で過ごし、その後7歳で後に養母となるフローラさんと出逢いました。その後引き取られ、8歳の時に日本に居るフローラさんの夫を頼って来日。ですがその後、母子だけの生活になります。

まず、思ったのは、イランで言う当時の孤児院と今日本における児童養護施設とは少し違うものがあるかもしれませんが、おおよそ似ている事、里親になる条件なども。

イランも施設に居られるのは18歳まで、里親の条件も両親が揃っている事、経済状況(裕福であること)、あと日本と違うのは、子どもの産めない母親であること。フローラさんは健康体だったけれど、サヘル・ローズさんを引き取る為に、産めない身体になりました。その覚悟はいかなるものだったでしょう。親戚中に反対され、縁を切られました。

フローラさんの思いを考えたら胸が熱くなりました。

その後も想像を絶する苦難があるのですが、この血の繋がりのない母子がどうやって心と心が繋がって行くか、今サヘルさんはフローラさんのことを自分にとって神様と表現し、フローラさんへの絶大なる愛と感謝を感じましたが、感謝の気持ちが生まれるまでには長い長い時間がかかると言うお話、とてもリアルに理解出来ました。

私も30代の時に養子(男子)を7年間育てたことがあります。様々な葛藤と苦悩がありました。それは子ども側も同じように二人で共に苦悩していた時間だったと思います。時に心が繋がった瞬間を感じ、時に離れる瞬間を感じ、そうして訳あって7年で生き離れた訳ですが、きっと本当の心と心の繋がりはまだまだ遠いその先にあったのだろうと今は思います。彼に対しては、言葉では言い表せられない思いを今感じます。

 そして、娘は母親の好む娘像を演じると言うこと。この傾向は、実母との間でもあることですからサヘルさんの場合はそれ以上に苦しかったことだろうと思います。特に中高生時代は、その苦悩に苦しみます。私もそうでした。

サヘルさんがようやくフローラさんに本音が言えたのは28歳だったと。

とてもよく分かる気がします。

今後のサヘル・ローズさんのご活躍に期待したいです。このような美しく綺麗な心を持った方が、容姿からは想像も出来ないような体験をして来られたこと、そして、周りの人たちの温かくてさりげない手の差し伸べ方。決して他人事ではなく、そのように生きてきた、生きている人たちが今も居ると言うこと。よこしまな目でそれを見ないで欲しいと言うこと。

サヘルさんの最後の「自分の身幅に合った一歩を踏み出して下さい」と言う言葉が心に残ります。私に何が出来るか。これからも考えたい。

きっと私がずっとネックなのは、実子が居ることなのです。

実子が居る私を信頼してくれる子どもは居るのか、フローラさんのように「あなただけの私だよ」と言えない自分が居て、誰かを支援した時、中途半端に傷付けないのか。

私は息子達との父親とは離別もしたし、その後亡くなったので、今はシングルだし、経済状況も良いとは言えないから里親にはなれない、と言うけれど、それはもしかしたら言い訳で、実子以上にどこまでその子の為に命をかけられるかだと。

フローラさんには心から敬意を表したいです。

もう一つは、一人を救えたらそれで良いのか?救うと言う表現はおこがましいですが、何万と居る淋しくて傷付いて、苦しい思いをしている子ども達が居る中で、たった一人、されど一人の人生、一人のサポートだけでも長い年月がかかる事も分かっている中、それだけでいいのか。今の私はどこに焦点を置けば良いのか考えているのかもしれません。

本当は、一人一人に対して、全力で抱き締めてあげられる人が、一人に一人必要なんです。それが分かっているから。これ以上、新たな傷付く子どもを増やしたくない。

私の身幅に合った一歩って何なのか。

区の子育て支援センターのスタッフに在籍していた時期があります。体調不良を理由にたった2ヶ月で辞めました。引き止められましたし、求職と言う形を勧められました。

でもきっぱりと退職しました。何故か。

そこでの子育て支援は、決して善意でやるものではなく、体裁上のものだと分かったからです。そう感じてしまった私が居ました。施設の外で利用者とバッタリ会った時、そっと目をそらして、決して言葉を交わさない事、と言われました。何故?

もしたわいもない会話の中からそのお母さんが本当に悩んでいたり困っている事が分かれば、そこでこそ子育てサポートは成立するのではないのか?など疑問だらけでした。

そこで私がやりたい事はないと判断しました。

それと、私は育児サークルが苦手です。でもそのような子育て支援センターでは、育児サークルを勧めます。人によって、求めるものは違います。だから育児サークルを否定している訳ではないです。ですが、自分が利用した事がないものを勧められない。

スタッフはお母さんの相談に乗ってはいけないと言われました。一番上の責任者に繋ぐだけの役割。そしてその責任者に善意を感じられなかったので、私には物足りなかったのです。

それから4月から厚労省が定めた子育て支援員の資格があると言うので早速講習会を受け、そこで早川先生(講師をされていました)と出会った訳ですが、国の定めた講習会だけでは、時間的に全く物足りませんでした。私はもっともっと早川先生のお話が聞きたいと思いました。早川先生には個人的にとても感銘を受けました。更に社会的養護の世界に入りたいと思ったのです。

その後、現場に入るしかないと思い、児童養護施設の職員になりました。

そして現在は休職中です。その施設には色々な疑問をぶつけ、相談して行きたいです。

色々な形で、子育て支援(傷付く子どもを増やさない)活動を、これからも模索して行くのかもしれません。

 

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 とてもとても長い記事になってしまいました。

話がかなりそれてしまっている部分もあります。

 

サヘルさんの「願い続けば必ず叶う。背中を誰かが支えてくれている。」

それを実感出来るようになるまでは、私の夢は消える事はないのかもしれません。

 

 

そして、もう一つ、ここに記しておかなければならない事があります。

冒頭のシンポジウムの紹介に載っている福澤孝晴さんの事です。

彼は、都内児童養護施設で生活しながら東大進学を目指しているそうです。

内閣府で社会的養護における教育水準向上を提言するなど、当事者活動にも熱意を向けておられます。私は彼にお逢いしてみたかったのです。

息子と同じ年代の福澤さんの3つの言葉。

1、教育の格差が大きいこと

社会的養護には思いの他奨学金制度などは充実している。けれど、お金の使い方の柔軟性がもう少しあれば良いと思う。

2、居場所

児童養護施設で暮らし始める時期はそれぞれ。中学も転校になる。学期の途中で突然転入生として新しい中学校に通い始める事が多い。打ち解けにくい。

3、周りの人達の受け止め方 

自分が施設で暮らしている事をカミングアウトした時、周りに引かれる。タブーのように取られる。受け止めてくれないと感じた。

 

これらは本当にそうだろうと思うのです。

たった2ヶ月ですが児童養護施設の職員をしていた時も何だかお金の使い方、かけ方のバランスに違和感がありました。個別対応のどんな高い塾でも塾代は全額国から補助金が出るのに被服費が少なくてボロボロの下着をつけたまま、、とか。習い事もしたがっている子が居ましたがそれは叶わず、塾代なら出ました。勉強だけじゃないと思うのです。その子がやりたい事を叶えてあげる事に補助金奨学金を使ってあげて欲しい。

そして、2と3は似てるかもしれませんが、周囲への理解を深める必要性。

これはずっとずっと私が言い続けてる事です。

社会全体で受け止める事。どんな生い立ちをしている人が居るのか、それぞれを知識がないばかりに先入観や偏見で見ないで欲しい。

ある程度の事は知っていて欲しい。当たり前の事として。

そして、人として、どうあるべきか、社会全体で考えて行けたらと思います。

 

福澤さんは若い高校生ですが、とても聡明な方でした。

質問が出た際の受け答えもすごく分かりやすくしっかりとした考えを伝えられる人。

是非とも大学受験を成功させて、今後、志の職に就いてもらいたい。

心から応援したいと思いました。

こういう若者を見ると、社会的養護に明るい未来が見える気がします。

 

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兼ねてから色々相談をさせて頂いて、それに対して誠実にお応え下さる、大変お世話になっている早川先生にお礼のご挨拶がしたかった事もあり、清瀬に行けて良かったです。朝は仕事があるし、少し遠いし時間も遅いので少し迷いましたが。

清瀬市って素敵だな、と思いました。

私の暮らしている町もきっと色々な課題があるのだろうと思います。

区の子育て支援センターに在籍していた時も私は、「ここに来れている人はまだ良いのです、ここに来れない人がきっと居るはず。困っている事を言えない人がいるハズ。」と訴えていました。「どうすればそのような人達がここに来れるようになると思いますか?」と問われ、その時すぐに返答出来る課題ではありませんでした。

今でもその答えは分かりません。

 

困っている人のお役に立てたら・・・と切に思います。

私の身幅、身の丈に合った支援がどう言う形なのか、模索の日々です。 

 

 

 

長々と時間を割いて最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

児童養護施設職員を休職して2ヶ月が過ぎ今思うこと。あの時間は何だったのか。そしてこれからのこと。

前回の投稿から既に2ヶ月以上が経っています。

その間、何をしていたか・・・。

児童養護施設の現場を一度離れ、そこの職員の方と連絡を取り合いながら、

今後のことについて考えていました。

施設名を明かす事は出来ませんが、とにかく私は志半ば、いえまだまだこれからと言うシーンで離れなくてはならなくなった事が残念でならず、本当にそれがベストなのか、

子ども達にとって私にとってどうなのか、と考えました。

 

その施設での問題点を園長、副園長にも話しました。

私なりに気付いた事は伝えておきたい。どこまで響いたか分かりませんが、

理解はされておりました。でも、実際はそこのところをどうする事も出来ない現実もあるのが分かりました。また話をしに来てくださいと言われましたが、それ以降足を運んでいません。あの方達にそれ程の問題意識を感じませんでした。

 

要するに人材です。

新しく児童指導員になろうとする人が居ても定着率が今まで低かった為、

指導出来るまでの人材が足りない。そのシステムも出来ていない。

現場は放置です。言ってみれば、その職員に任されています。

児童養護施設での子どもとの関わりは、そんな生半可なものではありません。

いくら福祉の知識があろうとどんな資格を持っていようと

通用するものではありません。

そんな中、アドバイスが必要な時もあるし、職員自身の負っているものを半分背負ってあげられるような先輩職員の存在も必要です。

 

日々の子ども達の言動に追われるばかりで、その施設には何の余裕もありませんでした。そればかりか、必要な知識のない職員が殆どでした。

 

こんな新米の私でさえ感じた事です。

その場所で今後、復帰して続けて行けるのかどうかは疑問だらけです。

私は施設に入ったら必ず「闘う」シーンがやって来ると思っていました。

それは古い職員体質に対してです。

子ども目線ではない施設が多い中、子ども達の嘆きばかりが目に付きます。

どうにかそこに違う流れを送りたかった。

施設とは懸け離れた別の数々の仕事をして来て、子育てをして来て、

義理の家族との暮らしの空気感や苦労を目の当たりにもして、

私と言う人間が思う事。それは全て私の経験から来るものです。

100人居たら100人が違う人生を送ります。

だから100人分の価値観が生まれます。

その中で良い知恵を寄せ合って、問題意識を持ち、施設で暮らさなければならない現実の中を懸命に生きている子ども達のお役に立てたら、と思っていました。

でもそのように考えて職務を行っている職員がどれだけいるでしょうか。

 

分かってはいましたが、広くは日本の福祉社会に於ける失望をしてしまいました。

 

その後も社会的養護について考えない日はありません。

今は、Twitterで知り合った女の子の支援をしながら、また、少しずつ動き出そうとしています。そこには数え切れない程の問題があり、自立支援もそうですが、今私が最も注目しているのは、やはり児童相談所なのです。

 

全ての権限は結局そこに委ねられていて、親に会いたくても会えない、子どもに会いたくても会えない人たちの嘆きをどれだけ見て来た事か。

なぜそのようになってしまうのか。行政的なマニュアル的な内容で括られているだけだと思っています。

 

何かしらの会えない理由があるのだとしたら、子ども達にどのような説明がされているでしょう。そしてそれは一体どんな理由でしょう。

子どもの年齢にもよります。ここはもう専門職の領域です。

けれど、実際は、保護され施設に入ったらもうそこで一旦終了。

親子関係の修復にどれだけ児相、施設が気持ちを費やしているでしょう。

引き離してその後が一番大切なのです。

子どもに会いたい親がどれだけ居るか。親に会いたい子どもがどれだけ居るか。

数値では計れないその淋しい感情を、施設や児相の職員はどれだけ自分の事として考えられているでしょうか。

 

私が居た施設でも居た期間が短い為事例は少ないですが、数々の疑問を感じていました。この子が何故こんなにイライラした日々を過ごさなければならないのか。

本人が何故ここで暮らさなければならないのか、理解をしていませんでした。

きちんとした説明がなされていないのです。

子どもは被害者以外の何者でもありません。

大人にとっての1週間、1ヶ月、1年間と子どもにとっての時間の流れは違います。

1年以上も知らない土地の施設に入れられ、親の誰とも会えないなんて、子どもにとってこれ程の苦しさがあるでしょうか。

暴言、暴力が出ても、その子を責める事は私は出来ません。

 

社会的養護を考えた時、問題点、課題は山積です。

きっと現場の方々も問題意識を持っている方なら百も承知なのです。

私のような中途半端に休職せざるを得ない今の立場から偉そうな事を言ってます。

でも社会的養護は急速に変化すべきです。ここ20年、私が児童福祉を独学で勉強し出してから、変わったことは少なすぎます。良い意味での進歩がありません。

 

日本の将来を担う大人になって行く未来ある子ども達。

日本の財産のはずです。

それが国にとって後回しになっていること。

社会の偏見の目がまだまだあること。

これは、他人事ではないこと。

 

自分だったらどうか、考えて欲しい。

 

子育て中のお母さん、大変な思いをしている人もたくさんいます。

貧困家庭、母子家庭、父子家庭・・・

 

私は今、いろんなことを考え過ぎて、自分に何が出来るか定まらない。

保育士の免許を取って、一時保護所の職員に、とも考えています。

市区町村でも違うかもしれませんが、1年契約で募集があります。

あと1科目残すところまで来ています。

児童家庭センターの相談員も可能性としてはあります。

 

仕事にならなくても良いのです。

困った人が今も私に相談して来られます。

その都度、足りない知識を補ないながら、私も学ばせてもらいながら、

お返事させてもらいます。

これは何も社会的養護に限った事ではないでしょう。

世の中で困っている人、人の支援が必要が人、孤独に陥ってどうにもならない人。

色んな人が居るでしょう。

元気な時は私たちはそれに気付きません。人は愚かな生き物です。

自分が、奈落の底に落ちた時、そこに気付くのです。

 

 

どうか、社会全体の問題として、一人一人がこの

親と暮らせない子ども達が居ると言うことに目を向けて下さったら・・・。

施設退所後の受け入れ方も違うと思うのです。

そして、周りにいる人の事、他人事と思わないで、関わって欲しい。

 

みんなで、守って行きたいのです。

未来の子供達を。そして大人の人も・・・辛い思いをしている人は沢山居るはずです。

 

 

 参考

miporin0517.hatenablog.com

 

 

 

 

 

【元資料厚生労働相『新しい社会的養護ビジョン(7/31案)】に目を通して思ったこと。

【元資料厚生労働相『新しい社会的養護ビジョン(7/31案)】 

 

児童相談所を子どもの権利保障の拠点にするには、高い専門性を備えた人材の量的、質的確保が必須である。

 

児童相談所の専門的人材育成や確保は急務。

 

 

一時保護の在り方

一時保護から養育者の元に帰る子どもにとって一時保護された場所が家庭生活で虐待などの問題が再発した場合には助けを求める対象となるよう子どもが信頼感を持つことができるようなケアを提供できなくてはならない。

 

→現在の一時保護所の実態とはかけ離れた理想。具体的にどのように変えて行くのか。かなりの改善が必要となる。

 

 

一時保護里親の創設

養育里親とは異なる専門性が求められ、原籍校への通学が望ましいため、できる限り校区単位に一時保護里親が登録されていることが望ましい。

 

→最後の2行、理想は高いけど非現実的に思える。数の確保が難しい。

 

 

児童福祉施設内においても、研修体制を整える必要がある。個人育成シートを作成し、施設長等と個別の育成面談を行い各自の目標を設定する。

 

まさに私が思っていた事。

その前段階の面談の必要性の記事を今朝書いたところ。

miporin0517.hatenablog.com

 

こんなものはね、当たり前のことなんです。

福祉業界は何で今までこれをやらなかった?

 

 

全てざっと目を通して思った事。

 

目指すべき理想の方向はかなり緻密に書かれていて、現実化するにはかなり難しい点も多そうだけど、ヒントにはなる。

専門的な人材をどれだけ確保できるのか、薄給で…。

優秀な人材が求められる。

まず必要なのは、国の予算と社会的認知。

社会的養護についてあまり知らない人が多い中での実現は難しい。

国を挙げての更なる社会への働きかけによる世間一般での問題意識の向上、

地域、社会全体で支えて行く国にならなければ、一部の関係者だけでは実現出来ない。

 

 

 

 

 

児童養護施設の児童指導員になって2ヶ月で思う事。〜職員定着率の低さについて〜

Twitterを見ていると、施設で暮らす高校生は口々に言う。

「信頼していた職員が退職した。」

「担当職員が何度も変わる。」

これがどういう事を意味するのかという事を

当事者ではない大人達はどう捉えているのか。

 

施設職員になる前、このような高校生達の嘆きを見るにつけ、

「辞めない職員になりたい。ならなくては。」と思った。

親と離れて暮らす子ども達にとって、職員は親ではないにしても、

子どもによっては親と同等の存在として、必要な重要な立場。

親への喪失感、親に捨てられた思いでいる子も居るだろう。

そのような子ども達にとって、職員の退職は、また捨てられた、置いて行かれた思いを繰り返す。

大人をなかなか信じられない中、やっと理解者を得られたと思っていたのに、

また離れ離れにならないといけないのか。

子ども達は再び同じような喪失体験をし、心のケアもまた一からとなる。

親ではない誰かとの愛着関係は、そう簡単に築かれるものではない。

そんな事があると、新しい職員に出会っても、どうせまた辞めるのだろう、と

子ども達は心を開かなくなって行く。

職員に期待するだけ無駄だ。また捨てられる。

もう傷付きたくないから信じない。となる。

子ども達が、職員が退職する事を嘆くのは、その職員の事を受け入れていたからだ。

必要としていたからだ。自分にとって必要のない職員だったら、辞めてもせいせいする位のものだろう。

 

そんな貴重な素質の職員が何故、短い期間で辞めて行ってしまうのか。

それには様々な要素があるだろう。

その中には、どうしようもない事もある。

特に若い職員の場合(殆どがそうだろうけれど)結婚、出産もあるだろう。

その人自身の人生、子育てもまた大切な出来事だ。

燃え尽きて、一旦職場を離れたい、と思う人も居るだろう。

 

児童養護施設の職員は、相談相手を持ちにくい。

世の中一般的には仕事の愚痴やら悩みやら上司の事など悩んだ時は、社内外問わず相談したりお酒を飲んだりして発散解決出来たりする。

施設職員の悩みは独特で、目の前に対峙する問題は大変ディープで、外の世界の人に理解を得られないばかりか、プライバシーに関わる事が多いから、外部の人に話せない事の方が多く、また、外部の人に児童養護施設の印象を悪く見せる可能性もある為なかなか話せない。

職場内に於いても同僚も少なく、皆余裕がない。

辞めて行く職員は1人で考えて決めてしまう。行き詰まってしまうのではないかと思う。とても狭い世界なのだ。

 

私は職員になってたった2ヶ月で、一度辞めたくなる程の行き詰まりがあった。

最初は笑顔で受け入れてくれた子ども達も、その内少し慣れて来ると試し行動が始まるし、信頼関係を積み重ねるにも先が見えない程の努力が必要になる。

今までの常識ややり方は全く通用しない。

何故そうなるのか、伝わらないもどかしさと伝えにくいもどかしさ、自分の無力感にさいなまれ、容赦ない子ども達の言動に、精神が追い詰められる。

それでも、一番辛い思いをしているのは子ども達だから、と職員は自分の心の病みに蓋をする。

 

長年憧れて就いた職場だったけれど、もう辞めてしまいたいかもしれない、私はこの業界に向いてなかったのかもしれない。

このままでは自分の生活もままならないと思った時、私は主任に相談した。

そしてこの問題は、私だけじゃないんだと知った。

他の職員がみんなそうして手探りで模索しながら過ごしている事は、

現場の他の職員と話す時もそれを感じていた。みんな孤独に頑張っている。

一見子ども達と上手くいってる職員も、試行錯誤しながら必死なのだ。

その人の資質の差もあるだろう。けれど、それだけでは説明しきれない何かがある。

ふと気付いたらボロボロで、退職がよぎってしまう。

私はここで何をやっているんだ。と・・・。

子ども達の支援、と言う原点から遠ざかってしまうのだ。

タフで言葉は悪いが図太い人、あまり気にしないで居られる人が生き残る世界。

志の高い人、この仕事に深い思いのある人に限って退職してしまうのはもったいない。

繊細で人の気持ちを常に読んでしまう人は、続かない。

でもそのような人こそ子ども達の心にアンテナが向けられる。

この職場には両方の資質の人が必要なのかもしれない。

 

 

私は、職員のリーダーとなる立場の方には、職員一人一人と向き合う時間、話す時間を月に一度30分でも良いから定期的に設けて欲しいと思う。

職員はそれだけで救われる。話す事で救われる事もある。

もしそれが逆効果になるなら、その人はリーダーにはふさわしくないのだと思う。

リーダーは職員一人一人を見て欲しい。

子ども達の支援に目が向きがちだけれど、職員育成も必要な仕事だ。

辞めない仕組みを作る努力をしなければ、社会的養護の現場の環境は変わらない。

実際はそのような余裕はないのかもしれないけれど、変える努力をしなければ始まらない。

職員の為だけではない。子ども達の「最善の利益」が脅かされる事を防ぐ為だ。

 

現状は、若い職員の平均就労年数は3年程で、なかなか経験を積んだ職員が少ない。

若い職員は、見本となる職員に出会う事も少ない。

一人でユニットに入る事も多いので、一人で悩みもがく事も多い。

 

この仕事は、5年続けても10年続けても答えはない。

根気の要る職業だ。だからこそ、それを続けて来た先輩方に話を聞いてもらうのは、

本当に続けて行く活力になると思う。

ただでさえモチベーションが下がるような事例が多い職場だからこそ、職員間の意思疎通が必要になり支えになる。

 

これは、児童指導員になって若干2ヶ月のおばさんが偉そうだけれど思った事。

 

前の記事

miporin0517.hatenablog.com

でもあった「Out of the box=箱の外から物事を見ること、すなわち客観的で独創的な視点を持つこと。施設の外の人間だからこそ得られる視点。」

に少しだけ足を踏み入れた私から見た職員の現場から感じたこと。

 

 

既に実践されている児童養護施設も少なくはないかもしれないが、

全国レベルでの職員の定着率の低さは変わっていないので、

敢えて、記事を書かせて頂きました。

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

児童養護施設など社会的養護のもとで暮らす高校生へ。「大学進学を最初から諦めないで!」〜大学等進学の奨学金について

Twitterで多く目にする高校生のメッセージ。

将来は大学進学は無理、就職しかない、大学なんて行けない。

奨学金を取るのは難しい。返すのも難しい。選択肢は就職しかない。

 

多くの高校生が大学進学を考える事なく、諦めています。

モチベーションの問題もあるでしょう。

けれど、多くは、経済的な理由。

施設を退所して、自分で生活を成り立たせないといけないのに、大学に行くお金なんてない。

アルバイトと学業との両立なんて自信がない。

施設から大学に行った先輩を数人知ってるけど、みんな中退してる。

それなら就職する方がいい。

 

本当にそうでしょうか?

 

大学に行きたいけれど、どうせ無理でしょ?と

夢も希望も見れないで居る女の子に出逢い、私は調べました。

そして、実は給付型(返済しなくても良い奨学金で、採用基準が高くない、概ね申請すればもらえる社会的養護における奨学金が多くある事を知ったのです。

 

この記事は、その奨学金の紹介です。

5月19日に東京都内で行われた自立支援コーディネーター委員会主催の学習会に参加させて頂きました。

以下、参考になさって下さい。

そして、是非、あなたの暮らす施設の職員さんに相談してみて下さい。

多くの職員さんは、「両立は難しいよ。」と言われるかもしれません。

でもこれらの奨学金を併用して活用すれば、自己負担は軽くなります。

尚、以下のものは全て、全国で受給出来る奨学金です。

 

 

児童養護施設などの大学等進学の為の奨学金

 

受給可能性が高いもの(返済義務のない給付制度)

 

大学進学等自立生活支度費(国による補助)

<実施者>各都道府県及び指定都市

<給付内容>支度費   81,260円(2016年度)

      特別基準分 194,930円

      計     276,190円<対象>

・支度費は、措置解除後、大学等や各種学校に修学する者

・特別基準分は、上記に加え、保護者がいないか、いても適切な養育ができず、経済的援助が見込めない児童について施設長、里親、児童相談所長の意見に基づき、各都道府県及び指定都市が要否を判断。

<備考>

・生活諸経費等に対する一時金的補助であり、基本的に他の奨学金受給を妨げる性質のものではない。

 

雨宮児童福祉財団修学助成(全国)

<実施者>財団法人 雨宮児童福祉財団

<助成内容>入学金実費分

<対象>全国の児童福祉施設に入所している児童及び里親のもとにいる児童で、高校卒業後進学を希望し、大学等や専門学校に合格した者の内、他の機関から返済義務のない入学金の助成を受けていない者。

 

JX児童養護施設・母子生活支援施設奨学助成(全国)

<実施者>社会福祉法人 全校社会福祉協議会

<助成内容>新入学時に10万円を助成。他の奨学金との併給可。

<対象>高校卒業後、大学等や専門学校等に進学を予定している児童で、全国の児童養護施設および母子生活支援施設、里親家庭に入所している児童、及び退所した児童。

 

4.日本学生支援機構奨学金(全国)

  →進学後、学校を通じて申し込む

   4万円/月 入学時給付金24万円が一度支給される。

 

5.アトム基金 進級応援助成制度(全国)

 <実施者>全国児童養護施設協議会

 <助成内容>進級時に3万円を助成

 <対象>下記①〜③の全てを満たす者

 ①児童養護施設に入所していた児童で、高等学校卒業後、大学・短期大学・専門学校等に進学し、その後、当該進学先の2年時以上に進級した(する)者(措置継続により入所中の者も対象)

 ②過去にアトム基金進級応援助成を受けていない者

 ③入所していた児童養護施設と連絡をとることが可能な者で、児童養護施設を通して助成金を受け取ることが可能な者

 

 

その他、都道府県が行っている奨学金制度もあります。

児童養護施設出身者のための奨学金助成実施大学も全国にあります。

 

 

また、下記のように貸付制度でありながら、返済が免除になるケースもあります。

 

受給可能性が高いもの(貸付制度→返済義務あり)

 

厚労省児童養護施設退所者に対する自立支援資金貸付事業)(全国)

 ①生活支援費→5万円/月

 ②家賃支援費→一ヶ月の家賃相当額(管理費および共益費を含む)     

 ③資格取得支援費→25万円を上限とした費用の実費

 いずれも貸付制度のため、返済義務があるが、

 ①および②は、5年間の就業継続、③は2年間の就業継続で変換が免除となる。

 <対象>

児童養護施設等を退所した者または里親等の委託を解除された者のうち、保護者等からの経済的な支援が見込まれない者で、大学等に在籍する者

②上記進学者の他、就職している者

③入所児童等で、就職に必要となる資格の取得を希望する者。施設等退所後4年以内で大学等に在籍する者を含む。

都道府県の児童養護施設担当課にお問い合わせ下さい。

 

 

以上の奨学金で賄えない部分は、アルバイトをしたり、下記の奨学金等を活用します。

 

2.日本学生支援機構奨学金(全国)

<実施者>独立行政法人 日本学生支援機構

<貸付内容>

・第1種奨学金(無利息) 月額45,000円〜64,000円

   返済機関限度 10~14年

   それぞれ進学する学校種別、自宅通学か否かで異なる。

・第二種奨学金(利息付) 月額30,000円〜100,000円(選択)

   利息は年利3%を上限に変動(在学中は無利息)

<備考>入学後の申し込みは入学した学校の奨学金窓口に申し出る。

 

 

 

 

ここでご紹介した奨学金は、あくまでも受給可能性が高いもののみですので、

奨学金制度としては給付型、貸付型ともに他にもたくさん、種類があるのです。

一人一人に合った大学進学への経済的なシミュレーションは、簡単なものではないかもしれません。しかし、これらの奨学金制度があるのを知らずに、選択の余地をなくすのはもったいないです。

 

但し、大学進学が全てではなく、答えは一人一人にあるもので、誰かを否定したりするものではないです。

それぞれの縁があり、それぞれの時代、世界を生きてると思っています。

私は機会均等、格差是正を唱えたい。それは私の今感じてる個人的な想いです。

一般的な大学進学率は76.8%、児童養護施設等からの進学率は22.6%(2013年)

その格差もしかり、施設間格差もしかり。

未来は自分で作るもの。その選択肢を狭めて欲しくはないのです。

そして、社会的養護における奨学金を多くの人が使う事で、需要がそれだけあるという事を社会に広めて、社会的養護に対する理解を求めていきたい、と思います。

 

施設出身者が、退所後大人になっても、更に更に生きやすい世の中へ。

どんな形であれ(大学進学でも高校卒業後就職でも)長く続けられる仕事に就く事が出来たなら・・・退所後の長い人生に光が差すと思うのです。

人生は、施設で暮らしている期間よりも退所してからの方がもっともっと長いのです。

だから難しいかもしれないけれど、高校生の年代は、その後の人生を考えるとても大事な時期だと思っています。

 

 

施設在籍者、出身者の皆さんを応援しています。