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** 私の生きる道 **

社会的養護を考える人です。自分と向きあう日記。社会に伝えたい事。

社会的養護を考えていたら、自分の人生と向きあう事に繋がった。

社会的養護と言う言葉は、もう数十年間にはあった。

でも未だ、その言葉の意味は社会に浸透していない。

社会的養護なのに。。。

 

www.mhlw.go.jp

 

私が社会的養護に注目したのは、かれこれもう20数年前。

当時は児童福祉、と言う括りで自習勉強していた。

それから結婚し子育てを経て20年、今に至る。

その結婚生活は波瀾万丈とも言えるもので、2度の結婚、離婚を経験。

二度目は子連れ再婚で、義理の息子が一人出来た。

いわゆるステップファミリーを7年間経験した。

そんな生活の中、二人の息子(一人目の夫さんの子)にも、波瀾万丈な子ども時代を強いてしまった。私は二度目の離婚後、二人の実子に償いの気持ちで、育て直しをして来た。義理の息子は実母に愛されていたから安心して別れた。

上の息子が20歳。下の息子が17歳になった今、そろそろ子育て期も終わりに近付き、ふと私のこれからの”生きる意味”を考えた時、この社会的養護が蘇って来た。

忘れる事のないこの分野。消える事のない、親と離れて暮らさなくてはいけない子ども達に対する思い。

 

20歳の息子に「お母さんの問題意識は何で社会的養護の分野なの?」と聞かれた。

「問題意識は、自分の経験から生まれるものだ」と言う息子の考えがあった。

当時私にもそれが何故なのか分からなかった。

 

私は10歳で最愛の父を亡くしている。病気ではなく、海水浴先での水死だった。

突然の父の死。初めて見る人の死。その後の喪失感。そして、その後の生活の変化。

母親との関係。

当時、母子家庭は珍しかった。うちは普通の家庭ではない、と言う気持ちが強かった。

周りの人たちは10歳の私に、「お母さんを支えてあげてね。」と言った。

私の淋しさに触れる人は居なかった。弟が居た。私はお姉さんだった。

弟はもっと小さいのだから私は頑張らなきゃと、お母さんも一人で大変だから、と物分かりの良い娘を演じながらも「お母さんには私の気持ちなんか分かる訳ない!」といつも壁を作っていた。

私の気持ちが分かる人なんて、誰も居ないと思ってた。

 

いつか普通の家庭を持ち、幸せになりたかった。

大人になればその淋しさを埋められると思っていた。

でも淋しさから来る結婚生活は決して上手く行かず、7年で破綻した。

私には最愛の息子二人だけが残った。

夢だった普通の家庭を得られなかった私は、私の息子達も母子家庭にしてしまった罪の意識を感じた。

そこで普通の家庭にこだわり、再婚した。

子連れ再婚・・・今思えば普通の家庭ではなかったけれど、父親と母親が揃っている家庭が普通の家庭だと誤魔化した。

義理の家族。今思えば家族ごっこだった。

二番目の夫さんは、元々子煩悩で家庭的な人だったから一瞬、夢を見た。

でも、義理の関係では上手く行かなかった。(注:ステップファミリーでも上手く行くご家庭も多いです。)

 

そんな40年間だったから、自分の色々な経験から思う事があるのかな、と思ってた。

離婚、再婚を経ての子育ての大変さも身に沁みて感じてた。

いつか世の中の子育てママの苦しさを汲んで声をかけられるような人になりたいなと思った。

虐待が多く問題となった時代。子育てママの苦しみ、閉塞感が虐待に繋がるのなら、その前の段階で支援したいと思った。

 

でも根本的な私が社会的養護を考える理由は、そこにはなかったと今日気付いた。

その根本的な答えがようやく見えた気がして、その事は今後、この話の続きで書いて行こうと思う。