私が自死を選びかけた瞬間〜そこに何の勢いも決断もなかった。
最近ふと何度となく思い出す瞬間がある。
2回に渡る、自死を感じた瞬間。
これはあくまでも私の感じたこと。
正解でもないし、答えでもないし、期待しないで流れるように読んで下さい。
私も流れるようにこれを書く。
10歳で私は子どもの心を封印して生きようと思った。
父が突然死したその頃から私は、人は何で生きていかなければならないのか、
私は何の為に生きているのか、分からなくて一人彷徨っていた。
母には愛されている実感がなかった。いつも一人で居た。
でも何かの時にふと目にした占いで、
「子ども時代は苦労をするけれど、大人になれば幸せな人生を送る。」
と書いてあったのをその時ばかりは子どもみたいに信じて、
いつか幸せな家族の中で生きたい、と目標が出来た。
だから生きられた。10代を乗り越えられた。
奥さんになりたかった。お母さんになりたかった。
その為に他のものは犠牲にしても良かった。
そうして結婚したが、数年で夫婦生活はぎくしゃくとして行き、旦那さんに裏切られ、私はもう何を目指していたのかさえ分からず絶望の淵に立ち、、、
そんな日々が長く続いた。今度こそ生きて行く希望なんてなかった。
人生は苦しい事ばかり。上手くいかない事ばかり。
その頃、二人の息子のお母さんになっていた。
それでも生きて行く希望も力もなく、車の行き来する見通しの悪い通りに、
ふいに身を投げ出しそうになった。
それはもう何者かに誘導されるかのごとく。
自分の力はそこに全く働いていなかった。
ふらふらと・・・迷い込んだように・・・。
もう少しのところで、はっと立ち止まった。
更に当時8階に住んでいた私は、ベランダから下を覗き込んで、
あぁ、、、ここから飛び込んだらラクになれるのだろうなと思った瞬間、
吸い込まれるように・・・身体中のバランスを失い、吸い込まれるように・・・
フェンスをまたごうとしていた。
その2回の瞬間の自分を今でも鮮明に覚えている。
自死する時ってきっとあんな風なんだろうな。
覚悟を決めて、とか、決断して、とかではなく、
もう全てに疲れ果てて、自分の意識を自分では保てなくて、
何者かに突き動かされるように・・・。
気付いたらもう死んでる、ような。
今、私が生きているのは、何でだろう。
あの時、最後の瞬間に我に返ったのは何だったんだろう。
あの時の恐ろしさを私は覚えている。
長年に渡る鬱積された自分の心。逃げ場のない心。誰にも吐けない、受け止めてもらえない心。
やっと見つけた幸せを失った、やっと信じられた人に裏切られた。
疲れ果ててしまった。
もう考える事さえも出来なくなっていたあの瞬間。
死ぬのが怖いのではない。
考え尽くして決めるのではなく、気付いたら死んでいた状況が怖い。
当時、私にとって大切な人は、二人の息子だけだった。
きっと何もよりも、幼い我が子を置いては逝けなかったのだろうと思う。
それが私の救いだった。
30歳の頃の事・・・。