社会的養護を考えていたら、自分の人生と向きあう事に繋がった。その先にあったもの〜愛着障害〜
社会的養護について考えていると、様々な事例に出会います。
様々な子ども達の叫びに出会います。
その一つ一つと向き合っていると、大きなキーワード愛着障害を避ける事が出来ない事が分かり、私は岡田尊司先生の書物を手にしました。
愛着障害。
最初、その言葉を聞いた時は、親の十分な愛情の元で育てられなかった為に起こる何か特別な世界のものだと思っていました。
どこか、自分とは関係のない世界のものだと。だから勉強をしなければ、と。
夢中でこれらの本を参考書のようにして読みました。
写真の右から順番に・・・そしてまだ今、更に一歩進んだ回避性愛着障害についての本(一番左)を読んでいる途中です。
ペンで線を引きながら・・・一字一句見逃さない集中力で時間をかけて。
すると・・・。
私自身にも当てはまる事象が次々と出て来たのです。
私は十分に愛されて育ったハズ、きっとそれは間違いはないのでしょうが、10歳で最愛の父を亡くし、その後母子家庭で育った私は、母との確執がなかったとは言えません。10歳以降私は、母に甘えたことがありません。恐らく指一本、触れたこともありません。
それなのに自己の創造において、母の存在が果てしなく大きく、いつも母に嫌われるのが怖くて、母親の顔色を伺って過ごしていたのです。
自分の人生の岐路においても、いつも母は何を望んでいるか、どの道なら母は納得するか、機嫌が良いか、が基準でした。
これは今思えばとても窮屈で、自分の人生を歩んでいたとは思えません。
以下、本文より
「困ったことがあると、すぐ人に相談したり、助けを求めたりする人。
逆にどんなに困っていても、なかなか人にそのことを打ち明けたり、ましてや援助を頼むということが言い出せない人。気軽に甘えたり、すぐ相手と親しくなれる人もいれば、何年顔を合わせていても、いっこうに距離が縮まらない人もいる。こうした行動の違いを生み出しているのも、愛着スタイルなのである。」
この文章は、「愛着障害〜子ども時代をひきずる人々」の本の比較的最初の方に書かれていて、私は人に相談や援助を頼まない人だったので、あれ?もしかして私もある種(不安型、もしくは回避型)の愛着障害なのか?と自分に問い掛け、一気に引き込まれました。
また、「愛着障害の克服」の方ではこんな風に書かれています。
「親が決定権を持ちすぎたために、自分の気持ちや意思に従って行動することができない。自分の気持ちや意思が自分でもわからない。〜中略〜親には依存し、良い子であろうと周囲の顔色をうかがうなど・・・」
と書かれていて、まさに10代の私のようでした。
社会的養護における子ども達の「愛着障害」という観点について勉強しようと読み始めたこれらの本でしたが、大いに自分の人生と照らし合わせることで、今までの自分の人生の歩み、生きづらさ、などを振り返り、これからどうして行ったらいいかに至るまで、考えさせられたのでした。
そして、母からの自立をして始めて、自分の人生を歩んで行けるのだということに今更気づいたのでした。
私がこれをやれば、母はどう思うか?母に見放されないか?嫌われないか?
もうそんな事はどうでもよくなったのでした。
全ては母を悲しませない生き方を選んでいたからかもしれません。
でもそんな事を考えても幸せにはなれません。全く悲しませない生き方なんてないのです。
親不孝な娘と思われようと、期待外れだと思われようと、もう私は大丈夫だと言えます。今、私は、自分のプライドとポリシーの基に、一歩、歩き出せたからです。
私には少し、支配的に感じた母の存在。
それによって私は心を閉ざし、うまく生きるのが苦手になった。
悩みや苦しみを母に見せる事が出来なかった。受け入れてもらえないのはわかっていたから。見せると母は目を伏せた。あなた(私)を理解出来ないと嘆いた。
それに傷付く位なら、強がっていた方がいい。
私はきっといつまでも母にとって、やりづらい娘だったと思います。
母の期待通りの私になれなくて、自分が嫌になる時もありました。
でも私は母に対して愛情があるし、ずっと気にかけています。
母はそんな私の気持ちは知らないでしょうが、娘は(子どもは)お母さんがいつまでも好きなのです。
社会的養護を考えるのは、こんな子どもの微妙な心を察してしまうからかもしれません。。。