** 私の生きる道 **

社会的養護を考える人です。社会に伝えたい事。

心と心で繋がると言うこと〜サヘル・ローズさんの講演会に参加させて頂いて〜清瀬市

昨日11月17日金曜日、清瀬市にある児童養護施設子供の家の施設長の早川先生のFacebookでの呼びかけでこの講演会を知り、参加させて頂きました。

きっとまとまった記事には出来ないだろうと予想しながら、思いのままに感想をまとめたいと思います。

 

児童養護施設の職員としての立場を離れ2ヶ月が過ぎた今の私は、今何をしているかと言うと、某大学内のコンビニのアルバイト。大学生と多く触れ合う事の出来る職場で元気と英気をもらいながら、身体を動かして走り回っています。なんと2ヶ月で5キロ痩せた程です。それ程没頭しながらもずっと施設の事は私の頭の中にあり、12月のあの二人の小・中学生の誕生日には、また誕生日カードを送るつもりです。まだ離職の決意はなく、休職中となっています。

また、Twitterで知り合った施設の高校生との交流も欠かせたくない事の一つです。

来週、逢いに行きます。まだ二度目です。新幹線に乗らないと行けない距離なのです。安らげる時間が少しでも作りたい一心です。この子に対しては何か特別な感情があり、サポートに終わりはない事を感じています。

そして、下の息子がちょうど大学受験生となり、あと3ヶ月、彼の大事な時期を支える事も大事な母親業です。それが終わらない事には、私の子育て人生は終われない。

その間、保育士資格を取る為の試験を2度受け、残るところあと1科目となりました。

その勉強も今の内に並行してやって行きたい。

 

そんな今日この頃、特に社会的養護について前向きに本を読んだりする余裕のない中、今の私の気持ち、心の中にあるものを確かめたくて、或いは自分を戒めたくて、この講演会に参加させて頂きました。

 

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私はテレビをあまり観ないので、サヘル・ローズさんの事はあいにく存じ上げませんでした。1985年、イランで生まれた彼女は4歳で全家族を失い、幼少時代を孤児院で過ごし、その後7歳で後に養母となるフローラさんと出逢いました。その後引き取られ、8歳の時に日本に居るフローラさんの夫を頼って来日。ですがその後、母子だけの生活になります。

まず、思ったのは、イランで言う当時の孤児院と今日本における児童養護施設とは少し違うものがあるかもしれませんが、おおよそ似ている事、里親になる条件なども。

イランも施設に居られるのは18歳まで、里親の条件も両親が揃っている事、経済状況(裕福であること)、あと日本と違うのは、子どもの産めない母親であること。フローラさんは健康体だったけれど、サヘル・ローズさんを引き取る為に、産めない身体になりました。その覚悟はいかなるものだったでしょう。親戚中に反対され、縁を切られました。

フローラさんの思いを考えたら胸が熱くなりました。

その後も想像を絶する苦難があるのですが、この血の繋がりのない母子がどうやって心と心が繋がって行くか、今サヘルさんはフローラさんのことを自分にとって神様と表現し、フローラさんへの絶大なる愛と感謝を感じましたが、感謝の気持ちが生まれるまでには長い長い時間がかかると言うお話、とてもリアルに理解出来ました。

私も30代の時に養子(男子)を7年間育てたことがあります。様々な葛藤と苦悩がありました。それは子ども側も同じように二人で共に苦悩していた時間だったと思います。時に心が繋がった瞬間を感じ、時に離れる瞬間を感じ、そうして訳あって7年で生き離れた訳ですが、きっと本当の心と心の繋がりはまだまだ遠いその先にあったのだろうと今は思います。彼に対しては、言葉では言い表せられない思いを今感じます。

 そして、娘は母親の好む娘像を演じると言うこと。この傾向は、実母との間でもあることですからサヘルさんの場合はそれ以上に苦しかったことだろうと思います。特に中高生時代は、その苦悩に苦しみます。私もそうでした。

サヘルさんがようやくフローラさんに本音が言えたのは28歳だったと。

とてもよく分かる気がします。

今後のサヘル・ローズさんのご活躍に期待したいです。このような美しく綺麗な心を持った方が、容姿からは想像も出来ないような体験をして来られたこと、そして、周りの人たちの温かくてさりげない手の差し伸べ方。決して他人事ではなく、そのように生きてきた、生きている人たちが今も居ると言うこと。よこしまな目でそれを見ないで欲しいと言うこと。

サヘルさんの最後の「自分の身幅に合った一歩を踏み出して下さい」と言う言葉が心に残ります。私に何が出来るか。これからも考えたい。

きっと私がずっとネックなのは、実子が居ることなのです。

実子が居る私を信頼してくれる子どもは居るのか、フローラさんのように「あなただけの私だよ」と言えない自分が居て、誰かを支援した時、中途半端に傷付けないのか。

私は息子達との父親とは離別もしたし、その後亡くなったので、今はシングルだし、経済状況も良いとは言えないから里親にはなれない、と言うけれど、それはもしかしたら言い訳で、実子以上にどこまでその子の為に命をかけられるかだと。

フローラさんには心から敬意を表したいです。

もう一つは、一人を救えたらそれで良いのか?救うと言う表現はおこがましいですが、何万と居る淋しくて傷付いて、苦しい思いをしている子ども達が居る中で、たった一人、されど一人の人生、一人のサポートだけでも長い年月がかかる事も分かっている中、それだけでいいのか。今の私はどこに焦点を置けば良いのか考えているのかもしれません。

本当は、一人一人に対して、全力で抱き締めてあげられる人が、一人に一人必要なんです。それが分かっているから。これ以上、新たな傷付く子どもを増やしたくない。

私の身幅に合った一歩って何なのか。

区の子育て支援センターのスタッフに在籍していた時期があります。体調不良を理由にたった2ヶ月で辞めました。引き止められましたし、求職と言う形を勧められました。

でもきっぱりと退職しました。何故か。

そこでの子育て支援は、決して善意でやるものではなく、体裁上のものだと分かったからです。そう感じてしまった私が居ました。施設の外で利用者とバッタリ会った時、そっと目をそらして、決して言葉を交わさない事、と言われました。何故?

もしたわいもない会話の中からそのお母さんが本当に悩んでいたり困っている事が分かれば、そこでこそ子育てサポートは成立するのではないのか?など疑問だらけでした。

そこで私がやりたい事はないと判断しました。

それと、私は育児サークルが苦手です。でもそのような子育て支援センターでは、育児サークルを勧めます。人によって、求めるものは違います。だから育児サークルを否定している訳ではないです。ですが、自分が利用した事がないものを勧められない。

スタッフはお母さんの相談に乗ってはいけないと言われました。一番上の責任者に繋ぐだけの役割。そしてその責任者に善意を感じられなかったので、私には物足りなかったのです。

それから4月から厚労省が定めた子育て支援員の資格があると言うので早速講習会を受け、そこで早川先生(講師をされていました)と出会った訳ですが、国の定めた講習会だけでは、時間的に全く物足りませんでした。私はもっともっと早川先生のお話が聞きたいと思いました。早川先生には個人的にとても感銘を受けました。更に社会的養護の世界に入りたいと思ったのです。

その後、現場に入るしかないと思い、児童養護施設の職員になりました。

そして現在は休職中です。その施設には色々な疑問をぶつけ、相談して行きたいです。

色々な形で、子育て支援(傷付く子どもを増やさない)活動を、これからも模索して行くのかもしれません。

 

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 とてもとても長い記事になってしまいました。

話がかなりそれてしまっている部分もあります。

 

サヘルさんの「願い続けば必ず叶う。背中を誰かが支えてくれている。」

それを実感出来るようになるまでは、私の夢は消える事はないのかもしれません。

 

 

そして、もう一つ、ここに記しておかなければならない事があります。

冒頭のシンポジウムの紹介に載っている福澤孝晴さんの事です。

彼は、都内児童養護施設で生活しながら東大進学を目指しているそうです。

内閣府で社会的養護における教育水準向上を提言するなど、当事者活動にも熱意を向けておられます。私は彼にお逢いしてみたかったのです。

息子と同じ年代の福澤さんの3つの言葉。

1、教育の格差が大きいこと

社会的養護には思いの他奨学金制度などは充実している。けれど、お金の使い方の柔軟性がもう少しあれば良いと思う。

2、居場所

児童養護施設で暮らし始める時期はそれぞれ。中学も転校になる。学期の途中で突然転入生として新しい中学校に通い始める事が多い。打ち解けにくい。

3、周りの人達の受け止め方 

自分が施設で暮らしている事をカミングアウトした時、周りに引かれる。タブーのように取られる。受け止めてくれないと感じた。

 

これらは本当にそうだろうと思うのです。

たった2ヶ月ですが児童養護施設の職員をしていた時も何だかお金の使い方、かけ方のバランスに違和感がありました。個別対応のどんな高い塾でも塾代は全額国から補助金が出るのに被服費が少なくてボロボロの下着をつけたまま、、とか。習い事もしたがっている子が居ましたがそれは叶わず、塾代なら出ました。勉強だけじゃないと思うのです。その子がやりたい事を叶えてあげる事に補助金奨学金を使ってあげて欲しい。

そして、2と3は似てるかもしれませんが、周囲への理解を深める必要性。

これはずっとずっと私が言い続けてる事です。

社会全体で受け止める事。どんな生い立ちをしている人が居るのか、それぞれを知識がないばかりに先入観や偏見で見ないで欲しい。

ある程度の事は知っていて欲しい。当たり前の事として。

そして、人として、どうあるべきか、社会全体で考えて行けたらと思います。

 

福澤さんは若い高校生ですが、とても聡明な方でした。

質問が出た際の受け答えもすごく分かりやすくしっかりとした考えを伝えられる人。

是非とも大学受験を成功させて、今後、志の職に就いてもらいたい。

心から応援したいと思いました。

こういう若者を見ると、社会的養護に明るい未来が見える気がします。

 

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兼ねてから色々相談をさせて頂いて、それに対して誠実にお応え下さる、大変お世話になっている早川先生にお礼のご挨拶がしたかった事もあり、清瀬に行けて良かったです。朝は仕事があるし、少し遠いし時間も遅いので少し迷いましたが。

清瀬市って素敵だな、と思いました。

私の暮らしている町もきっと色々な課題があるのだろうと思います。

区の子育て支援センターに在籍していた時も私は、「ここに来れている人はまだ良いのです、ここに来れない人がきっと居るはず。困っている事を言えない人がいるハズ。」と訴えていました。「どうすればそのような人達がここに来れるようになると思いますか?」と問われ、その時すぐに返答出来る課題ではありませんでした。

今でもその答えは分かりません。

 

困っている人のお役に立てたら・・・と切に思います。

私の身幅、身の丈に合った支援がどう言う形なのか、模索の日々です。 

 

 

 

長々と時間を割いて最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。