** 私の生きる道 **

社会的養護を考える人です。社会に伝えたい事。

一時保護所での少年の自殺のニュースを受けて。

少し疲れた帰り道、非常に辛いニュースが飛び込んで来ました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

私はかねてから社会的養護に関するTwitterのアカウントを持っていて、

その中で見た彼女のツイートから知りました。

(本人の許可を得て、掲載させて頂きます。)

 

 

 

養護にゃんと言うアカウント名の彼女もその名の通り、親の元から保護されて

長い一時保護所での生活を経て、今は自立援助ホームで生活している高校生です。

彼女の言葉は全くその通りだと思い、そのまま引用させて頂きました。

 

少し説明すると、一時保護所とは、心理的、身体的虐待や、ネグレクト(育児放棄、これも虐待の一つと数えられる)などで、子どもが親から保護されて、その後の措置(児童養護施設に入るか親元に返されるか、児童養護施設の受け入れ先)が決まるまで居る場所(決めるのは児童相談所)です。

愛知に限らず全国的に一時保護所での環境は刑務所のようだと複数の子ども達が語り、直接聞いた事もありました。

また、以前このブログで投稿した記事にもあるように、劣悪な環境が実際にある事も分かります。

 

miporin0517.hatenablog.com

 

一時保護所での子どもの精神的負担を考えると計り知れないし、いたたまれないです。

大きな愛で抱き締めてあげたい気持ちでいっぱいになり、胸がつまり、流せない涙がこみ上げて苦しくなります。(泣きたいのは子ども達の方だろうと思うから。)

 

 

傷を重ねて、絶望して、疲れて、生きる気力もなくしてる子どもに

ほんの一筋の光を届けるにはどうすればいいのだろう…

一瞬でもホッとして一瞬でも息が大きく吸えるように

あらゆる苦しみを一瞬でも忘れて眠れるようにと

日々、心から願いながらも私には何も出来ない。

考えても答えは出せず、このニュースを見てから、様々な事が頭の中をぐるぐると整理出来ず、久しぶりに記事にしています。

 

今まで出会った色々な子どもが脳裏に浮かびます。

会った事がある子どもも、SNSでしか話した事がない子どもも、

それぞれに苦しみを抱えながら生きている。

そしてこの愛知県の一時保護所で自ら命を絶った少年は、

私は会った事も話した事もないけれど、辛過ぎます。

そして、表面化されているのは氷山の一角で、報道されない悲劇も多くあるはず。

 

親から逃れ、離れて施設で暮らし、もう親に会いたくないと思う子どもや

施設で暮らしながらも、親の事を想い、淋しさと闘ってる子ども、自分を責める子ども。

親元に居ながら、親の有り余る愛情や歪んだ愛情が苦しくて逃げ出したくて、

児童相談所に救いを求める子ども。

少子化の時代に、一時保護所は保護された子どもで溢れ返って、

都市部では、保護所の空きがない状況。

 

保護されたのに更に苦しい思いをしている子ども。

安心出来るシェルターになっていない一時保護所。

そこではあらゆる規制があり、学校にも行けないばかりか、個人間の連絡先の交換も許されない環境の中、大きな不安を抱えている子どもにどれだけ寄り添えているか。

 

保護されたいのに保護してもらえない子ども。

その子どもにとって、救ってもらえると勇気を振り絞って児童相談所に相談に行っても、一時保護所は満杯で、身体的虐待の形跡(アザや血の跡)がないと保護されない事実。虐待は精神的ものもありますよ?目に見えない虐待もあるけれど、命の確保が先。どれ程その子どもが長期に渡り苦しんでいるのか。自死してしまったらまた、児童相談所は謝るのでしょうか?それでは遅いです。

 

苦しみはそれぞれ違うけれど、結局のところ、苦しむ子どもを生み出さない事が先。

当たり前過ぎるその答えがありながら、そのような社会に何故ならないのか?

そのテーマは果てしなくスケールが大き過ぎて途方に暮れます。

たった一人での育児は大変です。

例えば、先日のような大雪に見舞われた時、小さい子どもを抱えたお母さんは、食材の買い出しに行けないかもしれない。買い物代行に取り組んでいる団体もあるだろう。

でもそれを知っていて利用する人がどれだけ居るか。

知り合いが近くに居れば、手伝う人や気が付く人が側に居れば、お母さんは一人で頑張ろうとしないで済む。孤独に陥らないで済む。

子育てに悩むお母さんも、子育て支援センターに相談出来る人はまだいい。

問題は、相談するのが苦手な、頑張り屋さんのお母さん。

もちろん、お父さんが居る場合は、お父さんも同じです。

シングルファーザーも増えていると思うけど、何となくの印象では、

お父さんの方が周りにヘルプするのが上手かもしれません。

(個人的憶測ですが。)

  

人は、人に相談する時、何かを求めて頼りにしています。

でも、うまく受け入れられなかった時、もう二度と相談しようとしない。

相談された時、人がどれだけ人の事を、自分の事として思い測る事が出来るか。

また、相談されなくとも、周りがどれだけ気付く事が出来るか。

そんな大人を見て、子どもは優しく満たされて育つのではないだろうか。

子どもは元々、皆とても優しい心を持っている。

けれど、心無い大人の言動を見ながら、大人を信じなくなって行く。

優しい子どもこそ傷付く。そして、自分が悪い子なんだと、自分を責める。

 

 

社会全体で子どもを守る事。

親にだけ責任を押し付けない事。親がある程度のゆとりを持って子育て出来る社会。

親になると責任を伴うのは確かだけれど、親はいきなり親になれる訳ではない。

人と人との関わりの中で、子どもと向き合う中で、親になって行く。

 

 

私は、一番好きな親によって心や身体を傷付けられた子どもの悲しみを

抱き抱えて一緒に泣きたい。

けれど、現実は、決して理想論で語れるものではないだろう。

傷付いた子どもはもう、大人を信用していない。

長い年月を必要とする。

力なき今の私に出来る事は何か?

それは、こうして、社会に伝え続ける事だから、

こうしてブログを更新しています。。

 

 

ニュースの記事の一文に

臨床心理士が面接した時には、少年に自殺や自傷の兆候は見られなかったという。」

とありますが、子どもは、傷付いた本当の気持ちを簡単に見せません。

臨床心理士と言えど、大人の奢りだと思います。

誰かが側で寄り添って居られれば・・・。

このニュースだけでは詳細は分かりませんが、専門家が側に何人も居たハズなのにと

悲しさと難しい思いが消える事はありません。

 

 

支離滅裂な投稿になりましたが、最後までありがとうございました。

 

 

追記。

以前、職員として所属していた児童養護施設では、一時保護所が楽しいところだったと聞いた事があります。それは、何に比べてか?と考えたらキリがないですが、少なくともその子ども達にとっては、環境は劣悪ではなかったかもしれない。

一時保護所にも格差があるのだと思います。